いつもありがとうございます。
二代目社長専門
キャッシュフローコーチⓇ/税理士
東條です。
昨日の夕方、
「ヒトの臓器移植に光」
という記事を読みました。
科学者たちは、
ブタの臓器のすべてを
ヒトへ移植することを
実現するため、
長年研究しているらしい。
その研究の成果として、
移植時のウィルス感染の
リスクを取り除くことに
成功したらしい。
詳しいことは、よく分からない。
しかし、
もし、実現したら
こんな素晴らしいことは
ないって、素人の私でも
分かる。
ここでひとつの疑問
この研究者たちは、
なぜ、
ブタの臓器が
ヒトの臓器移植に
適合するかも?
って考えたんだろう?
おそらく、
研究の初期段階から
小さな根拠を
積み上げて、積み上げて
少しずつ
可能性を高めてきて、
今では、
「これいけるんじゃねぇ?」
ってくらいの
実現可能性があるんじゃ
ないかと思う。
想像だが、
研究開始時点では、
まったく根拠なんか
無かったんだと思う。
こういうものがあれば、
移植日を待ち望みながら
亡くなっていく人を
減らせるんじゃないか?
っていう、
希望
“人が死ななくてよくなる”
って希望しか無かったんじゃ
ないかなぁ?
その目的さえ達成できれば、
そこまでの過程なんて、
何でもいいんだと思う。
ゴールを設定して、
そのゴールに対して
辻褄を合わせていく。
徹底的に、強制的に。
課題に対して、それを解決
できるかもしれないという、
希望が人を突き動かす
んだと感じた。
もうひとつ疑問。
この研究者たちは、
まったく適合しない
場合のリスクを
考えているんだろうか?
もし、適合しませんでした。
不可能でした。
ってなったとき、
その研究者の心には、
どういったものが
残るんだろうか?
それもひとつの成果だと
割り切れるのだろうか?
研究者の中でも
ひとつの研究課題に
自分の人生と一生をかけて
研究するって人も
いると思う。
いつかはできる。
やってみせる。
ってものがあるから、
それをやろうとする。
失敗したときのことなんて
考えてないのかなぁ?
もしかしたら、
研究ってそんなもんかも
しれない。
自分の人生をかけて
取り組める課題があって、
その課題解決に執念を
燃やせるっていうことは、
その人の人生は良くも悪くも
充実したものになるんだろうなぁ
って、
ふと考えました。
東條でした。
では、また明日!
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