ホンモノの二人三脚

Vol.218

いつもありがとうございます。

 

二代目社長専門

お金のセーフティパートナー

 

東條です。

 

 

 

ご覧になられていますか?

 

平昌パラリンピック

 

3月9日から3月18日まで

やっています。

 

こちらも、

平昌オリンピック同様

感動の連続です。

 

 

選手それぞれの歴史やストーリーが

あります。

 

 

メダル獲得の裏には必ず、

壮絶な努力の積み重ねがありますからね。

 

 

 

村岡桃佳選手

 

3月10日

アルペンスキー女子滑降座位 銀メダル

 

3月11日

女子スーパー大回転座位 銅メダル

 

 

素晴らしいですね。

 

 

 

村岡選手

 

4歳の頃に突然足が動かなくなる

急性横断性脊髄炎

と診断されて以来、

車いす生活になったようです。

 

チェアスキーですが、

初めて体験したのは

小学校2年生の頃

 

本格的に競技スキーを始めたのが

中学校2年生の頃から

のようです。

 

 

その間、村岡選手のお父様が

村岡選手に色んなスポーツを

経験させたようですよ。

 

 

しかも、お父様ご自身も

一緒に車椅子に乗りながら

体験していたそうです。

 

 

 

やっぱり、自分の娘には

色んなことを

経験させてあげたいですよね。

 

 

そのために、

お父様は上から

「あーしろ、こーしろ」

というのではなく、

 

村岡選手の気持ちや苦労を

知るため、

そして一緒に楽しむために

目線を合わせる

ことを考え、実践したわけです。

 

一番初めに。

 

 

 

 

チェアスキーを本格的に始めた時点では、

世界で戦える日本人選手が

たったの2人しかいなかったんですね。

 

世界を獲れるよ

 

という周囲からの期待から

本格的に始めたみたいですが、

競技人口が少ないが故に、

コーチも指導者もいなかったんです。

 

そんな中、競技について教わったのも、

父親

だったそうなんですね。

 

 

スキーは趣味程度というお父様ですが、

娘が本気になったのを見ると、

嬉しいですよね。

 

 

同じように、チェアスキーを

ふたりで車椅子で練習しながら、

 

はじめはうまく進めず、お互いに

「どうすれば速く走れるか?」

真剣に話し合ったみたいですよ。

 

 

何度も何度も心が折れそうになったときも、

その度にお父様が支えてくれたようですね。

 

 

村岡選手とともに

二人三脚でここまで登りつめたんですね。

 

 

 

 

村岡選手がメダルを獲得した後に

村岡選手のお父様が

インタビューに答えていました。

 

 

インタビュアー:

「お父様がやってこられた努力が実を結びましたね」

 

それに対して、

 

村岡選手のお父様
努力とかそういうんじゃないんです
ただ、娘の喜ぶ顔が見たかっただけなんです

 

ちょっと感動しすぎて

うるっときました。

 

 

 

あの人に喜んでもらいたい

 

 

これって、

村岡選手のお父様だけじゃありませんよね。

 

 

村岡選手だって

きっと同じことを考えてたはずです。

 

 

村岡選手
お父さんを喜ばしてあげたい
お父さんのためにも全力を尽くそう

 

 

 

支えられる人

支える人

 

お互いがお互いのために

全力を尽くす

 

 

これが当の二人三脚っていうんだろうなぁ

 

 

もちろん、

「お父さんのために」

っていうだけで

そこまで頑張れるわけはありません。

 

 

お互いに

目線を合わせて

想いを共有して

一緒にチャレンジした

 

その成果ですよね。

 

 

いやぁ、年がいもなく

無性に感動してしまいました。

 

 

 

僕自身、今後

クライアントの皆様に

こういったサポートができるよう

精進するのみです。

 

 

 

東條でした。

それでは、また明日!